「あれ、これ、そればかりの毎日でも、今が最高なの。」八ヶ岳スタイル14号
八ヶ岳スタイル14号 [さろん・ど・て ペルル]オーナー 小谷十九士・坦子様ご夫妻
ペルルとはフランス語で「真珠」という意味。八ヶ岳レインボーライン沿いに建つ、大きな窓ととんがり屋根に煙突のある瀟洒なカフェレストラン。オーナーの小谷さんご夫妻は、今から10年前にこの地に移住し、奥様の腕を生かしたデザートと生パスタのカフェレストランを経営。ご主人は無農薬の野菜作りに専念し、奥様のレストランのメニューを飾る。そして昨年、店舗+住居の住まいとは別に新たな家を購入。現在は貸別荘として貸し出しているが、将来は自分たちの住居にする予定。東京生まれのお二人が、八ヶ岳定住を決められたきっかけは、そしてこれからの八ヶ岳ライフの計画をお聞きしました。
お菓子作りの先生が出会った、八ヶ岳の農家さん。
「もともとは都内でケーキ屋さんをしていたのよ。お菓子作りの先生だったの。」という奥様。東京にお住まいの頃は、近所の主婦を生徒にしたケーキ作りの教室を主宰され、三鷹にお店も構えていたプロの腕前。
一方のご主人は、薬剤師で製薬会社に勤めており、時々清里にある母校のセミナーハウスに遊びに来ていたという。
「私たちは二人とも東京生まれなので、田舎がないんです。主人が清里に時々来ていたので、週末はなんとなく八ヶ岳に来るようになったのかな。」
「私が大学生の頃、初めての登山が八ヶ岳だったんです。」というご主人。
「そんな縁もあってか、八ヶ岳に来るようになって『高根クラインガルテン』の第1期生になったんですよ。」
そこで農業体験を始めるようになり、半日は畑で汗を流し、あとは温泉へ。時には1泊して過ごすというライフスタイルをしばらく経験していると、「こっちはいいねえ。住みたいねえ。」とお互いに言い出だすようになったという。
「もうね、ナスが1本何千円もするわけですよ。高速代やらガソリン代、宿泊費なんかを入れたら。もちろん美味しいに決まってるじゃない(笑) だから毎週のように来てましたよ。その頃はもう、お店は娘に任せられるようになってたから。とにかく八ヶ岳の空気が吸いたくなるの。だからここに来るだけで楽しかったわ。」
その当時は八ヶ岳周辺にはアパートや賃貸住宅がなく、当時の泉郷の社長にお願いして貸別荘を1年間借りることができたという。
その1年間がお二人にとって八ヶ岳の生活体験となり、八ヶ岳移住計画の準備期間ともなった。
さらにお二人にとって、クラインガルテンの地主である山本さんという地元の農家さんとの出会いが大きな影響を与えたという。
「なんとその方が武田信玄の伝説的な軍師、山本勘助の末裔なんですよ。そんなすごい方に農業を教えてもらって、私が作ったお菓子とか料理を持っていくと、とても喜んで食べてくださってね。」
そんなお付き合いをしているうちに、こちらに土地を探すことになるが、なぜこんな標高が高く、寒くて不便なところに住もうとするのか、山本さんからは本気なのか?と思われていたという。
「地元の人からするとそうかもしれませんよね。でも、東京にしか住んだことのない私たちにすると、ここの大自然はとっても魅力的でした。特に夏はね。夏の暑いシーズンでもエアコンなしで快適に過ごせるんです。高根の方まで降りて、標高が650mくらいだと暑くてエアコンがいるんです。ここは900mなんですけど、このくらいがちょうどいいっていうのが分かってね。」
現在お店のある場所を見て、すぐに申込みをされたという。
「自然林で、風通しもよく、日当たりも最高。眺めも八ヶ岳が見えて、申し分なし。地主さんと直接契約でした。」