移住25年目の建築デザイナー標高1,000メートルのアトリエを訪ねて。八ヶ岳スタイル25号
八ヶ岳に助けられていると感じるんです。
ここに来て新しい人とのつながりもでき、仕事も評価され、また、精神的にもとてもいい状態でいることができると言う。
「やっぱり人間は自然の中で生かされていると実感します。いろいろな意味で八ヶ岳には助けられていると感じるんです。」
「私は移住なんて考えもしなかったことですからね。こんな田舎に来てどうするのって。でも、この人の強い思いがあったから来たんだけど、今言えるのは、『何とかなる』ですよ、本当に。」
最初は不便だった思い出もある。
「当時はまだ現役で働きながら移住した人ってほんの僅かでしたし、うちの場合、幼稚園児がいましたからね。」
春日さんのご自宅は、標高1000mを超える泉郷の別荘地内。平成元年の頃は周辺は深い森に包まれていた。
当時はまだコンビニもなかったし、スーパーも今ほどなかった。でも、それが苦労だと感じたことはなかったと言う。
「無くても何とかなる生活が身につくんですよ、人間は。都会だと何でもすぐに買えるから、あまり考えずに生活をしていますけど、ここだと先のことを予想しながら毎日を過ごしているので、最初は不便でも、ぜんぜん苦労とは思わなかった。」
「地元の小学校に入学した子供は毎日歩いて登下校。行きは1時間くらい。でも、帰りは2時間。これだけ自然豊かでいろいろなものがありますから、子供もあちこちで遊んで帰ってくるので、冬になると暗くなっちゃうこともありましたね。」
雪が降ると家の前の坂道で、子供と一緒にソリ遊びをしたり、田んぼに水を張った手作りのスケート場も思い出深い。学校ではとても長い距離を『走る』強歩大会に参加した。東京では経験できないようなことばかりで、子供が元気に育ったことは大きな恩恵だった。
「子供は病気らしい病気はしていませんね。私達もそうですけど。近くに幾つか病院がある事は安心できますけど、あまり行ったことはありません。」
今、29歳の息子さんは上京してプロカメラマンとして修行中。作品はやはり自然を写したものが多いのも、育った環境のせいだろうか。
「当時、冬はマイナス17度くらいでしたからね。最近はそこまで下がることはないので、確かに暖かくなっています。ここに暮らしていると、そんなことも実感できますよ。先日出会ったキツネは呼んだら近寄ってきたりして。それと、シカも。私達に出会っても逃げないんです。彼らが去った後に、落ちた角を何度か見つけたことがあります。とても貴重なので、大切に使わせていただいています。」
動物といえば、春日さんの家には2匹の犬がいるが、出会いも独特。
「うちの犬はもともと八ヶ岳の野良犬です。なぜか入れ替わり犬がやって来るんです。不思議な縁を感じます。」
そして、今、奥様には、取り組んでいる活動がある。
「自然の中で活かされているという感覚があるので、少しでも私達にできる恩返しはないかと始めました。」
自然との仲介役「インタープリター※」として、子供たちに自然観察のガイド役を務めているのだ。
「都会の子供でも、虫や自然の観察をしてお話しをすると、とてもよく理解してくれます。人と自然との共生を感じてもらうキッカケになれば嬉しいので、続けていきたいと思います。」
25年も現役としてやってこれているから、「何とかなる」という言葉が出るのだろうと思うが、当時のお話しを聞くと本当に計算や勝算もなく、移住を決断した「行きたい」という強い思い。その思いこそが全ての行動のエネルギー源だったに違いない。これからは八ヶ岳へ移住を考えている方に、今まで経験してきたことを伝えていきたい、それも八ヶ岳への恩返しだと考えている。
※インタープリターとは... 自然と人との「仲介」となって自然解説を行う人。
(この記事は2014年のインタビューです)